学生と指導者は同じ色眼鏡をかけているか?

皆さんおはようございます。最近は後輩からアドラー心理学の本買いましたとか、先輩からアドラー心理学の本貸すよとやたらとアドラー心理学と出会う場面が増えています。よくよく考えると「アドラー心理学」というワードを発している回数が増えたなぁと思い、人に話しまくるとやっぱり引き寄せるんだなぁと実感しているこの頃です。


今日もアドラー心理学から学生指導・人材育成を考えたいと思います。


【人は皆色眼鏡をかけている】

アドラー心理学では、『人は皆、それぞれの色眼鏡を通して世界を見ている。』 と考えています。色眼鏡とは自分だけの世界地図。つまり、思い込みのことを指します。


『ピンク色のレンズのメガネをかけている人は、世界がピンク色だと勘違いをしている。自分がメガネをかけていることに気づいていないのだ。』

多くの方が、自分が普通だ、常識人だと思っているかもしれませんが、そんなことはありません。普通だと思い込んでいるに過ぎないのです。そしてそのことに気付いている人は少ないのです。

皆さんが思う常識というのはそもそも統計学上多くの人が共通して持っている認識のことであり、正しいことというわけではないのです。95%の人が赤信号を渡っているかもしれない可能性は十分にあります。


昔の部活中は水分を取ってはいけない。なんかいい例ですよね。

当時はあれが常識でしたが、今はそんなことをすれば、パフォーマンスは低下するは、脱水症状引き起こすは、熱中症になるはで危険行為という常識に変わっていますよね。


では臨床実習ではどうでしょうか?


【そもそも共通の目標設定になっていない】

人は皆違う色眼鏡を持っている。これは学生と指導者も例外ではありません。というのも実習を成功させる条件はお互いに共通しているでしょうか?


指導者は「臨床実習の合格は『即戦力』が目標だろ‼国家試験受かったら現場ですぐ働かなければいけないんだから、そのために知識も技術も磨かなければいけない」と思っていても、学生は「おおよその評価項目がこなせて、ざっくりながらレポートがまとまれば合格だろ」とすでに実習を合格する条件が異なってはいないでしょうか?


どちらが悪いというわけではありません。何故ならどちらもそれぞれの人生で得てきた常識なのだから。

指導者は自ら働いたときに、臨床実習でやってきたことが生かせず苦い思いをした。臨床実習では即戦力まで力が身についていなければいけなかったんだと思っている。

一方で、学生は教員や先輩、同級生から得た情報でこれぐらいやれば実習は問題ないと思っている。


両者とも違う色眼鏡で実習を見てしまっているのです。こんな状態で実習を進めても、指導者は課題をこなす量が少ないと不服に思うし、学生としては課題の量が多すぎると不服に思ってしまう。lose-loseの関係性となってしまう。


この関係性ができてしまってからでは解決策を見出すのは難しい。実習には期限がつきものだから。


だからまず、実習をどう見ているのか?これをお互いにはっきりさせておくことが大切なのです。自分の常識≠世間の常識≠学生の常識。みんな常識が違う。常識を疑ってかかる。そのためにしっかりと話し合うこと。ここから実習を始めていく必要があるでしょう。


実習において共通の目標を定め、実習に関しては同じ色眼鏡で物事を見ていけるようにする。そうすることであなたの想いは伝わるでしょう。

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