師道(しどう)を興(おこ)さんとならば、妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。
必ず真に教ふべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。
またまた吉田松陰の言葉です。明治維新を成し遂げた数々の志士を育てた彼の言葉からは、学ぶべきことがたくさんあります。
【安易に人の師となってはいけない】
学生と指導者。実習においては明らかな縦関係で教えるという立場になりますが、安易にきちんとした理由もないのに、人の師となってはいけないし、そして誰かを師としてもいけません。
学生にきちんと伝えられているでしょうか?ついつい何でも言うことを聞いてくれる学生がいると、部下や弟子のような感情を抱いてしまいがちですが、自分を師としてはいけません。
松陰のいう師弟関係とは『国家のために死ねと命令したら死ね。死ねない人間は弟子になるな。これに対して弟子も、先生の言うことなら死んでもいいという。両者の思いがそのレベルで一致して初めて師弟関係となる。』
ここで大事なことは、松陰自身が真っ先に「自分が死ぬ」と覚悟を決めていること。指導者が一番先にその本気度を見せていくこと、つまり学生に指導した以上は自分も同等以上の課題をこなすということです。
そうでなけれな学生はお客様でしょう。
【仕事に人生をかけて取り組む】
松陰のように、リーダーが真っ先に覚悟を決めてこそ松陰と弟子のような、並外れた信頼関係が築けるのだと思います。
あなたが実習で学生に課題を出したとき、学生はどのように思うでしょうか?
(先生は家で自分の好きなことをしてるのに…。実習だけど…。)と思われるようなことはしていませんか?
例えば、学生が睡眠時間を削ってレポートを書くのに、自分は遊びやプライベートの会話が多い。学生が必死に調べたことを知ったかぶりの知識で返す。自分もわからないことなのに学生にだけ調べさせる。明らかに学生だけが頑張っている状態はないでしょうか?
はたまた、仕事をルーティンワークでやっている。かったるく真剣みがない。適当な相槌をうっている。よくならない理由を患者・病気のせいにする。本気で仕事をする姿を見せていないということはありませんか?
まずは指導者である私たちが、学生以上にリハビリテーションを仕事を他のすべてを犠牲にしてもやりきる覚悟ができているかどうか。
それができないのに、学生に偉そうなことは言えません。今を頑張っている学生のほうがよっぽど価値のある人間です。
吉田松陰のようになる事は並大抵のことではありません。しかしそのくらいの覚悟がなくては実習に来ている学生に失礼だと思います。
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