【課題の分離を考える】
学生を指導するとき、学生のやる気がない、課題をやってこない、知識・技術が足りない。そんなことで、指導者として悩むことはないでしょうか?
アドラー心理学では、指導者がそのことに悩むのは間違いであるといわれています。それが『課題の分離』という発想になります。『課題の分離』』とはどのようなものでしょうか?
では、アドラー心理学の基本的なスタンスからお話ししておきます。たとえば「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。
学生が勉強するのかしないのか。あるいは、寝るのか寝ないのか。本来これは「学生の課題」であって、指導者の課題ではありません。
学生の代わりに指導者が勉強しても意味がありませんよね?そして、勉強しないと困るのは学生ですよね。勉強しないと評価・治療ができない。実習を不合格になる。国家試験に落ちる。患者さん・利用者さんからクレームが来る。仕事をクビになる。これらの報いを受けるのは学生ですよね。
勉強することは学生の課題です。そこに対して指導者が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
分離して、他者の課題には踏み込まない。
およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、あなたのストレスも激変するでしょう。
一見、冷たいんじゃないのか?と問われますが、アドラー心理学ではこの関係を涼しい関係と呼びます。
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