共感と言うのは、言葉通りに共に感じるということ。
共感のためには、クライアントと同じ物や景色を見て、同じ言葉を聴いて、同じものを感じる必要があります。
アドラー心理学では共感のためには
「相手と同じ目で見て、同じ耳で聴いて、同じ身体で感じよう」とする態度が大切なのです。
ポイントは「ようとする態度」です。
よく、『このクライアントとは共感出来ません』とか、反対に『このクライアントとは共感出来るんですよね』と共感レベルの差を比較する人がいますが。
共感とはセラピストの態度のことですから、共感できないと言うことは、基本的にはないですし(共感したくないはあり得ますが)。
共感できると言うのも、相手の経験や考え方を全く同じでとらえると言うのも不可能に近いですので、まずあり得ないですよね。
むしろ同一化に近いニュアンスになってしまう。
同一化とは、文字通り相手の状態と一体化することです。(こちらのほうが一般的に言われる共感に近いかもしれませんね)。
カール・ロジャーズも共感については
「クライアントのプライベートな世界をあたかも(As if)自分のものであるかのように感じとりながらも、『あたかも』という性質を絶対に失わないこと」といっています。
「自分の世界とは別のものであるという前提を持ちながら『相手の世界』に入り、相手と同じ状況に自分の身を置きながら、相手に何が起こっているのかを理解しようとする態度」
それが『共感』です。
そうすると、共感とは「クライアントの話や状態を分かった気になる」ことから最も遠いものです。
自分の知らない世界の話を体験するのですからセラピストは
「わたしはあなたについて何も知らない、ということを知っている」ことに気づいておくことが大切にもなります。
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